寺院概要

■住 職  鹿野 融真
■宗 旨  真言宗御室派(総本山 仁和寺)
■本 尊  薬師如来
      (ご真言) オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
■仏 像  大日如来 弘法大師 不動明王 十二神将
      地蔵菩薩 阿弥陀如来 閻魔大王 観音菩薩
■開基年  鎌倉時代前期
■創建者  尊譽
■建 物  本堂 客殿 庫裏 鐘楼
■霊 場  新四国東国八十八ヶ所第74番 <薬師如来>
      金沢三十四所観音霊場 第4番<観音菩薩>
■行 事  盂蘭盆・施餓鬼会・春秋彼岸会・三河忌法会 他

沿革・由来

当山は鎌倉時代の初め、三河守源範頼公(頼朝公の異母弟)の別邸跡に、公の殉後、その霊を弔うために建立された真言宗御室派の寺で、三愈山遍照坊と称していました。

その後は一時荒廃しましたが、室町時代の中頃に尊誉法印が復興し、のちに三療山薬王寺と改め現在に至ります(真言宗御室派総本山仁和寺末)。

範頼公の念持仏として伝わる本尊薬師瑠璃光如来(伝 行基作)は、古来秘仏として奉祀されております。日光・月光両菩薩及び十二神将と共に、数百年の年月の中で篤い信仰を受け、長きにわたり私達を見守って下さっています。

堂内には、鎌倉末期の作とされる聖観音菩薩像及び地蔵菩薩像、金剛・胎蔵両部曼荼羅図、古色蒼然とした範頼公の位牌をお祀りしています(地蔵菩薩像と種字曼荼羅図は横浜市指定有形文化財となっています)。

寺宝の過去帳には、尊誉法印を中興とし足利、織田、徳川の時代を経て明治11年まで、31世を数える歴代住職の事蹟、命日が詳しく記されたものが残ります。

境内にある鐘楼堂は天保11年に建立されたものです。当時改鋳された梵鐘は名響とされましたが、先の大戦中に近隣6ヵ寺の寺院とともに供出となります。

戦後になり、35世成融和尚により、日本人の精神高揚と世界平和を祈り再鋳造されました。爾来、朝夕6時に撞き続けられています。

宝篋印塔は、寛保2年19世継範法印の代に建立されました。同師は、真言宗の聖教を書写整理され、貴重な寺宝を残されました。

本堂は安政年間に焼失し、90有余年は仮本堂のままでした。しかし、昭和22年に起工し、戦後資材の乏しい中にも檀信徒の絶大な支援のもと7間4面規模の本堂となりました。